「手でつくったものなどは神ではない」  06.10.08
                      使徒言行録19:21〜40

 人生を進んでいく時には、自分にとっての喜びがあるかないかを
考えて、進む道を選び、その道を歩んでいくことが一般的でしょう。
 しかし、それとは別に、神さまが喜ばれるかどうかで、自分の進む
道を選び取る生き方もあります。前者の方が、満足した人生に
なると考える人が多いと思います。しかし、本当にそうでしょうか。

 使徒言行録に登場するパウロという人は、自分の願いでなく、
聖霊の導きに従いながら、神さまのお心にそうことを優先し、
進む道を選びながら生きた人です。21節の「決心」も「御霊に
感じて決心した」(口語訳)のでした。彼は、その後もエフェソに
とどまります。良いことばかりではなく、反対者による困難も
ありましたが、そこに滞在することにします。自分の願いや喜びを
優先していては、そのような選択はできなかったでしょう。
いつも彼は、神さまの心を優先して生きましたが、実に生き生きとし、
力強く、真の自分として、満ち足りた人生を歩んでいました。

 デメトリオという人は、アルテミス神殿の周囲で銀細工を販売して
いた職人でした。彼は、自分たちの商売の邪魔をするパウロたちに
腹を立てて騒ぎを起こしました。彼にとっての、神さまは、自分たちの
手で作ったものです。自分の手の内にあって、自分に喜びをもたらす
ものこそ神です。つまり、何よりも優先されるのは神さまではなく、
自分自身です。パウロが言う、「世界と万物、そして自分を造った神」
では困るのです。自分が従わなくてはならないからです。神さまに
従う生き方などしたくないのです。アルテミス神殿の神に従うつもりは
ありません。そのようなデメトリオは、自分の願いを妨げられると、
怒り、混乱、無秩序を生み出すのでした。自分の願いを優先する
生き方は、魅力的に思えますが、人間は罪を持つゆえに、混乱を
生みます。
 神さまを優先する生き方は、自分を救い、愛し、導く神さまに
従うのですから、神さまによる救いと永遠の命への希望を伴う
生き方であります。